Top釣行記釣りのスタート

釣り歴スタート

広島で生まれ育った。海は瀬戸内海、川は太田川。

釣りは、子供の頃、父親に竿とリールを買ってもらってからは本当に良く行った。
それまでは竹の竿に糸をくくりつけての釣りしかしたことがなかったから水面まで距離の あるところでは魚釣りなど思いもよらなかったのである。

父親は釣りとは縁のないような男であるので、きっと誕生日にせがんで買ってもらったのだろうと思う。

今でも店の場所だけは良く覚えている。
広島の京橋川の下流の御幸橋の東側のたもとにあった釣具屋さん。高橋釣具だったと思う。

2段の並み継ぎのグラスロッドと、ロケットのようなカバーがついたリール(なんていうのかな?)。

そのころの広島はどの側の岸辺にも川面にせり出して家が建っており、かなり河口に近づかないと岸辺からは釣りが できなかった。

それ故、釣り人はよく橋の上から釣りをしていた。

この御幸橋は人通りも多く、車の交通量も多い橋で、しかも路面電車が走っている。

現在も健在だと思う。

今のようにジェット天秤だのロケット天秤などなかったから茄子型おもりに仕掛けをつけて釣る釣りである。

買ってもらったことが嬉しくて、思いっきり投げたくて、この橋から投げたものだ。

しかし、通行する人に危ないのと、橋の脇を通っている電線に仕掛けが引っかかったりするので結局は欄干から下に仕掛け をおとしていく釣りとなる。

つれるのはハゼ、テンコチ、そして私達はドンコと呼んでいたハゼ科と思われる真っ黒いヌルヌルした魚(この魚の正体は 多分ヨシノボリだと思うのだが、今見ることができないのでわからない)。そのドンコは流石に食べられないと聞かされて いたのでお帰りを願っていたが、後の魚は必ず家に持ち帰っていた。

多分、曾祖母と母親のしつけだと思うが食べられるものは粗末にしない、自分が取ってきたものは自分で処理をするという ことで、家に帰っておぼつかない手つきながらうろこを取り、頭を落とし、内臓を掻きだしていた。
そして、何故か塩焼きでなく必ず煮付けにしていた。

この竿とリールは10年は使っていたように思う。

今のように浮き釣りだ、磯釣りだという区別もなくまた知識もなかったので、海水浴へ行くときも、川へ行くときもこの竿 とリールを持っていっていたように思う。

家から10分で川へ、20分で海へという環境だったこともあり、小学校高学年から中学生まで自転車で本当によく通ったものだ。

近所の海で釣れたのは、キス、ベラ、ハゼ、ヒイラギ、テンコチ、カレイ等々の小魚である。 (これは今も変わっていないかもしれない(^^;)

   

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